小太郎のTCG雑記

名古屋でTCGをやっている小太郎というものです。趣味でやっているカードゲーム(主にMtG、ウィクロス、Z/X)と名古屋に関することをテキトーに書いていこうと思います。

甲子園の通算勝利数投手の概要

夏の甲子園も、仙台育英の優勝で終わりました

かつての甲子園で大阪桐蔭相手にサッカー部だとか言われていた頃が懐かしいですねw

でも私、ふと気になることがありました

 

「甲子園で20勝した桑田投手は巨人のエースだったけど、他の上位勢はどうだったんだろう…?」

 

甲子園で10勝もできる=一年生か二年生から大活躍している、わけです

桑田投手以外は寡聞にして聞かないこのランキング、少し見ていこうと思います

 

甲子園通算勝利数ランキング(敬称略)

1位 20勝

桑田真澄 PL学園(1983〜1985)

言わずと知れた巨人のエース

PL学園の野球部は不祥事も重なって休部となってしまいました

あまりにも有名なので割愛します

すごい人です

 

2位 14勝

石井毅 箕島(1978〜1979)

のちに阪神に入団する嶋田宗彦とともにバッテリーを組み、一年生からエースとして活躍します

甲子園には二年生から出場、三年生には春夏連覇も成し遂げました

その後住友金属→西部に入団

しかし腰痛など故障が原因でプロでは残念ながら活躍できず、1984年にアメリマイナーリーグに留学して1988年に引退します

引退後、嫁さんの実家に養子に入って木村姓となり、木村竹志を名乗りました

その後は関西独立リーグの代表や監督を歴任するなど、まだ野球と色濃い生活を送られています

 

3位 12勝タイ

三浦将明 横浜商業(1982〜1983)

強豪ひしめく神奈川県で二年生からエースとして活躍し、KKコンビのPL学園と対戦したこともあります

ちなみに清原和博の甲子園初ホームランは三浦からのホームランです

高校から中日に入団するも、球威が武器だった三浦の球威がプロでは通用せず、1990年に早くもプロを引退しました

佐川急便の軟式野球部で野球自体は続け、現在はスポーツDEPOでベースボールアドバイザーをされているそうです

 

荒木大輔 早稲田実業(1980〜1982)

元祖大輔です(松坂に謝れ)

この人もかなり有名なので割愛します

皆さん知ってますよね!?

ちなみに三浦将明とは高校時代対戦し、1-3で敗れています

 

5位タイ 11勝

松坂大輔 横浜(1998)

この男のすごいところは一年しか甲子園出てないのにこれだけ勝っていることです

一年生からエースなら何勝できたのか…

有名なので割愛します()

 

島袋洋奨 興南(2009〜2010)

初の21世紀枠

2010年の甲子園では史上六校目となる春夏連覇を、沖縄勢初の優勝で飾っています

中央大学ソフトバンク

しかしルーキーイヤーに一軍出場を果たすものの、四年後にクビとなって引退

現在は興南高校の監督となるべく、資格取得に向けて興南高校にて頑張っているそうです

頑張れ!

 

7位タイ 10勝

加藤英夫 中京商業(1966)

わいの地元愛知のすごい人です

史上二校目の春夏連覇を達成

その年しか甲子園で投げていないので、勝率は驚異の10割!

1000%といってもいいですね(算数苦手な人)

近鉄に指名されるものの先発では結果を残せず、中継ぎとして10年ほど活躍しました

現在は名古屋経済大学のコーチを務めていらっひゃいます

 

柴田勲 法政第二(1960〜1961)

巨人V9時代のリードオフマンでとても有名なので割愛します()

高校時代は投手だったんですね!

 

佃正樹 広島商業(1973)

広島の芸人・達川光男とともにあの怪物・江川卓を倒したすごい人です

法政大学→三菱重工広島へ

高校時代の投げ込みで肩が上がらなくなり、また大学時代も江川の影に隠れてしまって存在感を出すことはできませんでした

野球部引退後も三菱重工にて営業のエースとして活躍していましたが、食道がんにより2007年に帰らぬ人となっています

ご冥福をお祈りします

 

余談ですが、世にも珍しい「左投右打」の選手です

漫画で江川との対決が描かれた時、左打席で引っ張って決勝タイムリーを放っていましたが、江川から「ボクの球を引っ張れるわけないじゃん!」とクレームが入ったそうな(事実は右打席でなんとか流して決勝タイムリー、本当に引っ張れなかったんですね)

 

土屋正勝 銚子商業(1973〜1974)

叔父と同じ高校で、叔父の時は夏の甲子園準優勝しています(ちなみにレフトでした)

あの怪物・江川を倒したこともあるすごい人です

なんか江川倒されてばかりだな…

最後の夏に優勝した時は膝を痛めていたものの、五試合で一失点という驚愕のピッチングを見せました

この怪我が治らず、中日入団後もずっと怪我との戦いになります

ロッテにトレード後は一球勝利を達成するなどしますが、クビになり引退

現在は郷里で保険会社を経営しています

 

野中徹博 中京(1982〜1983)

あの「やまびこ打線」を抑えることのできる唯一の投手として、事実上の決勝戦と呼ばれた池田高校との準々決勝で投げ抜いた、愛知県のすごい人です(惜しくも敗れました)

甲子園の防御率は0.79というバケモノです

阪急入団後すぐコーチにフォームをいじられたのが原因で故障し、その後完治せず打者転向します

結果を残さず一度は引退しますが、吉本興業とのテレビ企画での対戦で意外と投げられたことから現役復帰を考え、台湾野球→地元中日に入団

入団後、打者転向→クビ→現役引退からの13年目の初勝利という、他に類を見ない経歴をしていますね

10.8決戦でも投げ、2イニングを無失点

またクビになった後はヤクルトに移籍しますが、坐骨神経痛を患って今度こそ引退しました

現在は出雲西高校の監督をされています

 

 

甲子園で何勝もできる投手というのも、成功できるとは限らないものなんですね